ゴルフ 首筋の美しいひとが、ひっそり、悩んでいた。
171121(火)昼ついにその日は静かにやってきた。常々覚悟はしていた。 半チャンラーメンが静かに衰退している理由-東洋経済オンライン を読んで東京・神田神保町の偉大な牙城が崩れたことを知る。 さぶちゃんラーメン閉店!! 営業のついでに現場に急行。自分の目で確かめたかった。 やはり……。10月隣の近江やに行ったときは検査入院中でまだ復活の目があると思っていたのだが……。ここ数年めっきり足に来たらしく、ラーメンと炒飯を均等に分けれなくなっており、意識も朦朧としているのか、相当しんどいんだろうな、とは思っていた。ここでお店の追悼の意味も含めてここ数年の写真おば。 2012年3月8日 この頃はまだ690円だった。二十代の頃はもっと安かったように記憶している。かつおだし、昆布、鶏がら、とんこつなどでとった独特の甘辛いスープ。化学調味料も一杯。駄菓子のような味だった。麺は玉子麺。チャーシューはよく煮込まれており、これは炒飯にもゴロゴロ。「ラーメンは小銭で食べるもんだよ」が哲学だったようだ。しょっぱい味付けで食後はよくのどが渇いたものだった。それでも通ってしまう魔力は何だったのだろう? 2013年8月6日 この頃から720円に値上げ。常時10人以上の列。30分待ちは当たり前だった。昔はもっとすごかった。カウンター7席。捌ききれなかった。だから私は学生さんが減る夏休み、春休み、冬休みを狙っていた。しかし最近はラーメン二郎などの強豪店に客を取られたのか列はだんだん短くなっていった。 14年4月14日 ここはラーメンとチャーハンがばらばらで出くる。一緒に写真が取れたのは珍しい。相変らず甘ぁーいメンマが童心を思い起こさせる。決して愛想のいいおじさんではなかった。サービスしてくれるわけでもなかった。二十代で初めて入ったときは正直怖かった。でもしばらく通うとわかってきた。違うんだなあ。さぶちゃんは不器用なんだね。笑顔が作れないんだね。思いを人に伝えるのが下手な人だった。関西人の私はこういう店にはなじまないのにこうして定期的に来ている。いつも自分でも不思議だった。 15年10月22日 この頃から盛り付けが少しずつおかしくなってきた。でも長年世話になっているから不愉快な気持ちにはなれなかった。だって必死なのは伝わってきたんだもん。 16年5月19日 これが最後だった。筆で書き出したメニュー。変わらない人だった。「これが最後になるかもしれない」と思っていたのは確か。覚悟はしていた。 数年前親子丼のまっちゃん、約一年前いもや本店、そしてさぶちゃん。この路地一角のハイレベルの店がくしの歯が欠けたようになくなっていく。CPと味と安さとヴォリュームを提供してくれたランチの街・神田神保町のフラッグシップたち。時代だから仕方がないとはいえ寂しさは隠せない。 思うに私はこの店が好きだったのだろうか? いや決して好きではなかった。でも今気づいた。愛していたのは確か。一歩距離を取りながら関西人の付き合いとは違う東京の距離感で付き合ってきたのではないか?そんなことを思いながら……。 最後に冒頭の東洋経済オンラインの記事について。マクロな経済的、マーケティング的な視野では当たっていると思う。確かにその背景はある。でも私は直接的には違うと思う。 高齢化、後継者不足。ラーメン二郎を初めとする新規強豪店の進出による若者、学生離れ。 それが直説的な原因だと思う。だって体さえ丈夫ならまだ5年、10年はできると思うもん。 あと一点。半ちゃんラーメンの元祖は神保町ではさぶちゃんラーメンではなく、伊峡とされている。だってさぶちゃん若い頃は伊峡の先代のところに修行に行っていたらしいから。 さぶちゃん長年お疲れ様でした。大好きなゴルフはもう出来ないですかねえ。ゆっくり養生してください。長年ありがとう。 隣のご兄弟の近江やとキッチングランは通うようにするからね。